生産性について考える

社会派ブロガーであるちきりん氏の『自分の時間を取り戻そう』を読んでいる。

 

「生産性を高めることにもっとこだわるべきだ。でないと高生産シフトしていく社会で取り残されちゃうよ」というのがちきりん氏の主張だ。

 

その通りだと思う。

生産性を上げるというと、なぜかせかせかした生き方は嫌だという人が出てくる。

 

しかし、24時間365日常にゆったりと過ごしている人がいるだろうか。いたとしても、それほど多くはないはずだ。

 

むしろ、せかせかした生き方は嫌だと言っている人に限ってせかせかしていたりする。「ゆったり暮らしたい、でもできない」、そんな思いが、こういう言葉を聞くとその人をイライラさせるのかもしれない。

 

実際、生産性が上がれば可処分時間は増えることになる。生産性を上げて作り出した時間を使って自分の好きなこともできる。

 

ようするに、せかせかしたくないのではなく、だらだらしたいのだ。

 

自分もそういう気持ちはあるが、成果も同時に出したい。だから、生産性を上げることをもっと考えようと思った。

 

「高生産シフト」の話を聞いて思ったのだが、今は昔と違って核家族が中心の社会である。

 

昔は家族が多く、それぞれに役割分担をしていた。仕事をして稼ぐ人、家事をする人などが分かれていた。それぞれの役割に複数人が割り当てられていたことも珍しくない。これは生産性が高いシステムであるといえよう。

 

しかし、核家族では、分担をしたとしてもそれぞれの役割の人数が少ない。しかも政府が「女性の社会進出」と言い出すため、ますます役割分担をするのが難しくなっている。

 

子供が多い核家族であれば話は別だが、出生率だって下がり続けている。

 

こういった社会であれば、個人の生産性を高めるものが売れるのも頷ける。

 

これからビジネスを起こすのであれば、個人の生産性に注目するのが良いと思う。