未来への態度
今年度はコマ数がとても多くなってしまったので、なかなかプライベートな時間が取れない。クラウドワークスもまったく手がつけられず、ほぼやめている状態だ。
とはいえ、精神的には充実している。立ち止まると不安が襲ってくるが、動いていればそんな余裕もない。今年度はそんな年になりそうだ。
今日は久しぶりの休みなので、これから友人と食事をしに行く。電車で移動中、池田純一の『〈未来〉のつくり方』を読み始めた。
〈未来とは、待てば自ずとやって来るものなのか。それとも、未来は、自らの手で引き寄せ、築くものなのか。〉
という問いかけで本書は始まる。この2つの態度のどちらを取るかで、その後の行動はまったく異なるものになる。
休日に、来週からの態度を考えてみたい。
もうすぐハードな期間は終わり。
なかなかハードな4日間も3日目に突入し、終わりが見えてきた。
今日は朝から電車が遅延して大変だったが、なんとかリカバー出来た。
ライティングは細々と続けていて、忙しくても1日2記事は書くようにしている。
今思えば、400字で32円のような記事を書いていたのがバカバカしくなるぐらい効率がいい。
練習段階ではあのような案件はいいのだろうが、そうでなければやってられない。
とはいえライティング収入の方は下がってしまっているので、ここからまた立て直していきたい。
とりあえず明日までは本業に集中する。
土台としてのリーダー論
昨日深夜に地上波で放送していた番組で、社長の生活に密着するというものがあった。
その社長が言っていたことで共感したものがあった。
それは「組織のリーダーは、トップではなく土台だ」ということである。
トップになってしまうと、大抵の人間は傲慢になる。しかし、土台だという意識でいると、謙虚になれ、かつ組織をしっかり支えようという意識も生まれる。
リーダーはこうあるべきだと思う。
土台として、そこで動く人々を煽り、組織を盛り上げていく。「組織は頭から腐る」という言葉があるが、実は土が悪くなっているのかもしれない。
土に栄養があれば、植物も大きく育つ。リーダーは元気であらねばならない。
初乗りは気持ちよかった!
今日もいい一日だった。
昼前に起きて午後は今年初の乗馬。
今日はマサルという馬に乗ったが,とても素直で良い馬だった。
マサルの馬装をしていると,子供がやってきて,馬はアゴがふにゃふにゃしていてとても気持ちいいのだと教えてくれながら,マサルのアゴを触っていた。
他の馬は触ると大抵怒るが,マサルは怒らないのだそうだ。そういうわけならと触ってみたが,これがとても気持ちがいい。
思わずグローブを取って素手で触ってみたが,とても気持ちよかった。あまり触っていたらマサルがちょっと後ずさりしたので,馬装の続きをした。
最近はどの馬に乗っても割と指示を聞いてくれるようになった。
やはり明確に指示を出すことが大事だ。これは人間にも言えることで,下の者に指示を出すときは何よりも明確であることが大事である。
初乗りはとても楽しかった。
さて,明日から仕事が始まる。いきなり柏→川越という移動が大変な日が続く。
体調管理をしっかりして臨むようにしたい。4日間頑張ればまた2連休なので,心地よい睡眠を目指して明日からも一日一生の精神で頑張ろうと思う。
バックキャスティングから始める
今年はバックキャスティングから始めた。
バックキャスティングとは,自分の理想や志を初めに考えて,そこからやるべき行動を決めていく方法のことだ。
元旦は自分がどんな人間になりたいのか,どのような人生を送りたいのかを考え,書き出した。
そこから徐々に行動を決めていく。
自分の核となる考えを行動に映し出すことで,体現していきたいと思っている。
そろそろ年齢も年齢であるし,少なくともあと2年は,自分の信念に沿って前に進んでいきたいと思っている。
さて,急ぎ書いておきたいのは,研究者の役割である。
研究にはいろいろなタイプがあるが,私は必ずしも全員が全員,社会に直接役に立つ研究をしなくても良いと思っている。
博士に与えられる学位はPh. Dであり,哲学がその基盤にある。
哲学は実学ではない。思考の基盤を提示するものである。
したがって,その基盤を備えたうえでの思考から出てきたアイデアは,たとえ現在の時流に沿わないものであっても,一定の価値がある。
それが正解か不正解かはその時点ではわからない。
しかし,ある事象についてモノの見方・考え方を示すのが研究者の役割だと思っている。
したがって,まずはこれまでの哲学がどのような発展を遂げてきたのかを俯瞰することを今年の目標の1つとしたい。
抽象と具体を行ったり来たり
今週のお題「2017年にやりたいこと」
今日ははてなが出しているお題に沿って記事を。
まずは明けましておめでとうございます。
昨年は努力の方向性を模索していた一年だったように思う。今年は,昨年学んだことを活かして,実際に前に進んでいきたいと思う。
テーマは「身体感覚を伴う知」を追求していきたい。
抽象から具体へ,具体から抽象へ,縦横無尽に知を走らせていきたい。
これまでは抽象的に物事を考えすぎて,頭でっかちになっていたように思う。もっと身体の感覚を使って,現場感覚をもって物事を考えていきたいと思っている。
会計や経営,英語はこれまで以上に専門的にやるのはもちろん,芸術や哲学なども触れていきたい。抽象的なものをどこまで具体的に落とし込めるか,これは良い知的訓練になると思う。
また,詩や文学に触れることによって,表現力も高めていきたい。
心を豊かに,柔軟に。昔,師に言われたことを思い出す。
「焦らず,腐らず,水の流れるように」
生産性について考える
社会派ブロガーであるちきりん氏の『自分の時間を取り戻そう』を読んでいる。
「生産性を高めることにもっとこだわるべきだ。でないと高生産シフトしていく社会で取り残されちゃうよ」というのがちきりん氏の主張だ。
その通りだと思う。
生産性を上げるというと、なぜかせかせかした生き方は嫌だという人が出てくる。
しかし、24時間365日常にゆったりと過ごしている人がいるだろうか。いたとしても、それほど多くはないはずだ。
むしろ、せかせかした生き方は嫌だと言っている人に限ってせかせかしていたりする。「ゆったり暮らしたい、でもできない」、そんな思いが、こういう言葉を聞くとその人をイライラさせるのかもしれない。
実際、生産性が上がれば可処分時間は増えることになる。生産性を上げて作り出した時間を使って自分の好きなこともできる。
ようするに、せかせかしたくないのではなく、だらだらしたいのだ。
自分もそういう気持ちはあるが、成果も同時に出したい。だから、生産性を上げることをもっと考えようと思った。
「高生産シフト」の話を聞いて思ったのだが、今は昔と違って核家族が中心の社会である。
昔は家族が多く、それぞれに役割分担をしていた。仕事をして稼ぐ人、家事をする人などが分かれていた。それぞれの役割に複数人が割り当てられていたことも珍しくない。これは生産性が高いシステムであるといえよう。
しかし、核家族では、分担をしたとしてもそれぞれの役割の人数が少ない。しかも政府が「女性の社会進出」と言い出すため、ますます役割分担をするのが難しくなっている。
子供が多い核家族であれば話は別だが、出生率だって下がり続けている。
こういった社会であれば、個人の生産性を高めるものが売れるのも頷ける。
これからビジネスを起こすのであれば、個人の生産性に注目するのが良いと思う。