偶然と必然/理性/抽象度

少し休憩して,日付が変わる前にもう一つ。

 

● 偶然と必然のはざまで

ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代 上巻』(岩波文庫)で気になる一節があったので引用します。少し長いですが。

 

<「いまは私の信仰を問題にしているわけでもないし,誰にもわからないことを,私がどのようにして,いくらかでもわかろうとしているかを説明しているわけでもありません。いま問題なのは,どのような考え方をすれば,われわれにとって最善のものへ到達できるかということだけなのです。この世は必然と偶然によって織りなされています。人間の理性はその二つのあいだにあって,それを制御することができるのです。理性は必然を自己の基盤と考えます。理性は偶然を導き,あやつり,利用することができます。理性が確固として不動であることによってのみ,人間は地上の神と呼ばれるに値するのです。若い時から,必然のうちに恣意的なものを見ようとすることに慣れ,偶然にある種の理性を認めようとし,それに従うことが宗教であるなどと考えるのは人は哀れなものです。それは,自分の理性を捨て去って,自分の好むところを欲しいままに行うのにすぎないではありませんか。そういう人は,思慮もなく行き当たりばったりに暮らし,自分に都合のいい偶然に身を任せ,挙句は,そうした定めない暮しの結果を神の導きだなどと考えて,自分では信仰深いと思い込んでいるのです。>(pp.108-109)

 

● 理性を働かす

気ままに暮らすのは本当に楽しいことです。私など,休みの日は特に予定も決めずに気ままに過ごしています。仕事についても,ある程度の優先順位は把握しますが,きっちり決めずにその時の感情によってやることを変えたりもします。

しかし,理性をそこで働かせてやることで,トラブルや後悔などはもう少し減らせるのではないでしょうか。最後の3行などは,本当に気持ちが分かります。そして自己正当化のためにこのように言いたくなることはあります。しかしそこが刹那的な生き方の入り口で,少しでも前進したいと思うのならば,このセリフを戒めとして心に留めておきたいと思いました。

 

● 抽象度より理性の問題

話は変わりますが,私は仮想通貨を人間は適切に扱えるか?という問いに対しては否定的な立場です。なぜなら,実体がないものを人間がどこまで扱えるかというところに疑問があるからです。

仮想通貨と言わずに,クレジットカードでさえも破産する人がいます。それどころか,実体がある現金についても破産する人がいます。お金自体が非常に抽象的なもので,たしかに交換手段など便利な側面はありますが,個人個人が扱える抽象度は千差万別で,抽象的思考の得意な人は扱えるが,そうでない人は破産しやすいと思っていました。

しかし,今回これを読んで,そうというよりも,理性がどの程度働くかの問題では?と思うようになりました。おそらくこれは正しいと思いますが,詳しくは別で書きたいと思います。

 

No man is free who cannot control himself

Pythagoras

 

 

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈上〉 (岩波文庫)

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代〈上〉 (岩波文庫)